「なるほど納得」ワインコラム(~47話)

 はしがき
 

 かつて企業の駐在員としてフランスに住んでいたときに本場のワイン文化に魅せられ、
それから本格的にワインを飲み始めた。特にパリからボルドーへ居を移してからは、ワイ
ンの "修行" に一段と力が入った。銘醸の地でワイン三昧の日々を過ごした後、10年の
任期を終えて帰国すると、運命のいたずらか、ワインの新規事業が待っており、ワインの
輸入商としての道を歩むことになった。新しい業界に足を踏み入れてみると、少なからず
カルチャ-・ショックを受けた。趣味でワインを嗜んでいた者が現地で普通に知ったワイ
ンの常識ぐらいは、日本でも当たり前のことであろうと思っていた。ところが、さにあら
ず。そこには奇妙なシーンが展開されていた。

 時差の関係で世界で一番早くボージョレー・ヌーヴォーが飲めるといって、成田空港か
ら特別列車を走らせて大騒ぎをしたり、またワインブームでは、ポリフェノールが体にい
いからと、それまで敬遠していた赤ワインを薬代わりに無理矢理飲み込んでいる一般の人
々の姿があった。一方で、ブランド志向のマニアたちは、頭にデータを詰め込むことに気
を奪われ、アメリカのワイン評論家の評点を新興宗教のように信じ込み、有名どころのワ
インを飲み漁り得々としている。

 レストランへ目を向ければ、ここでも名の知れた高級ワインを並べることが最上のサー
ビスとの思い込みが強く、そうすることがソムリエの務めであるかのように考えているよ
うだ。近頃は、もっと手頃にワインを提供しなければ、などという声も聞かれるが、表向
きは価格を手頃に設定しても、中身を落としてのことであればサービスの向上とはいえな
い。また、お得なレアもの、などといって薦められても、本当に品質の確かなものがはた
してどれだけあるだろうか。

 こういった日本のワイン風景に出会い、「何かが違う」と思わずにはいられなかった。
それから時が経ち、今では、世界中のワインが身近に手に入るようになり、またワインに
関する情報も豊かになり、ワインを愉しむ環境が一段と充実している。しかしそれでも、
「何かが足りない」という思いを払拭できない。どうしてであろう。それは、モノや知識
や情報を手に入れても、それらを活かしてワインを愉しむための「センス」が欠けている
からではなかろうか。

 ヨソの国のものごとを知識として知ることはそんなに難しいことではない。しかしなが
ら、その国の人々が感じているようにその国の事柄を理解するのは容易なことではない。
フランスという「外国」に長年住むことでそれを実感した。そこに居ながら、何年かして
「ああ、それはそういう意味だったのか」と思うことがしばしばであった。こうして、そ
の国のことを学んでいった。

 ワインは、いうまでもなくヨソの国から入ってきた文化である。先に述べたように、今
は情報が氾濫しているような時代であり、ワインの知識を得ることはそれほど難しいこと
ではない。むしろモノ知りが増えているほどである。しかし、表面的な知識や情報の背景
にある意味合いやニュアンスを掴み、本当のワインの愉しみ方を知っている人は意外と少
ないように思う。それどころか、長い間に定着してしまったワインに関する誤解や勘違い
が常識としてまかり通っている。だから、冒頭に挙げたようなおかしな現象が起こること
になるのだろう。

 流行や健康志向やスノビズムといったものに惹かれてワインを飲むのもいいが、そろそ
ろワイン本来の愉しさに目を向けてみてはいかがであろう。ところで、人がなぜワインに
魅せられるかといえば、多分、「それが、美味しいからであり、面白いからである」とい
う単純にして究極的な理由によるものであろう。そして、この美味しさと面白さの飽くな
き追求が、奥の深い愉しみへとつながり、本場のワイン文化を形成してきたのではないか
というのが現地で得た感想である。

 ワインの美味しさとか面白さといっても、すでに「知っているつもり」でいるか、逆に
「捉えどころのない」ことのように思うかもしれない。しかし、これらのことを本当に実
感することができるようになれば、ワインの愉しみが一層増すことは間違いない。これは
必ずしもマニアが考えるような高級ワインでしか得られないような愉しみではなく、工夫
次第で、日常的に手の届くワインでもできることである。

 実は、これが本場の通たちの賢いワインの遊び方であり、こういった愉しみ方を念頭に
おいて、もう一度原点に返って「ワインセンス」を磨き直してみてはいかがであろう。そ
の一助として、本場のワイン文化に直に接し、現地の人々のものの考え方や感覚を肌身で
感じた取った体験を活かし、従来とは違った視点から、あらためてワインの美味しさと面
白さを解き明かし、本当のワインの愉しみ方を伝えてみたい。